君は日本を誇れるか「③デジタルは本当に便利か?」

③デジタルは本当に便利か?
押印廃止の流れは、河野氏の大臣就任前からあり、その流れを利用したのが電子決済を売りにするIT企業だった。『判子を押すために会社に出社した』とのキャッチコピーで話題となりこのフレーズは河野氏の就任後も繰り返しテレビなどで取り上げられた。そして瞬く間に判子は悪者になった。しかし、多くの会社員が押印だけのために出社しているというのは嘘である。押印自体は数ある業務の一つに過ぎず、押印だけの専門職など聞いたこともない。押印だけのために出社する人などいやしない。
近年は社会全体でデジタル化が進みつつあるが、ハッキングの手口は実に巧妙になり、被害にあった人は相当数に上る。警視庁の広報資料によると、平成30年のサイバー犯罪の相談件数は12万件以上で、相談しなかった被害者はその数十倍はいるものとみられる。他方、たとえ判子が盗まれても、直ぐに改印すれば悪用されることは防げるため自分でリスクを管理することができる。
今後、様々な手続きがデジタル化されるだろう。しかし、民間のデジタル認証は、当然利用料がかかることを考慮すると、判子を作った方が全体としては安上がりになることは間違いない。保護者が学校に提出する申請書類も原則デジタル化するそうだが、申請書類に親が署名して押印するのに何が不都合があるのだろうか。昨年、中学3年の生徒がスマホを使って教師のパソコンに侵入し、自分の成績を書き換えて書類送検された事例があった。最近の若者にとって、親のパソコンを操作して学校に申請することくらい容易い。
しかも、デジタル認証が安全だというのは間違いである。近年、知らないうちに個人情報が盗まれて、SNSなどが乗っ取られ、あるいは見覚えのないクレジットカードの請求を受ける人は多い。大手企業から個人情報が流出したという報道も頻発している。大企業のシステムもいとも簡単に破られてしまうものであるから、個人の情報管理など簡単に破られてしまうものなのである。他方、自分の実印が偽造されて悪用された経験がある人は、そういるものではない。
デジタル化が進んで、行政手続きの押印が廃止されるのはよいとしても、判子文化そのものは便利なものであり、残すべき文化だと私は思う。河野大臣は色紙に落款を捺して判子文化に寄り添う姿勢を見せたが、単なる罪滅ぼしのパフォーマンスにしか見えない。落款を使う一般人は1パーセントにも満たない。一部の特殊な人が使う判子では意味がない。私が問題にしたいのは、日常生活で普通に用いてきた判子は実が便利なものであるということである。

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