君は日本を誇れるか「④押印だけ廃止する虞」

④押印だけ廃止する虞
河野大臣は、先ず押印を廃止して、次に書面とファックスを廃止し、デジタル申請に移行していくという。しかし、順序が逆転してはいないだろうか。書面を廃止してデジタル化することによって、自動的にその書面に押印が不要になるというなら分るが、書面を廃止する前に押印だけを廃止することに何の意味があるのだろう。
平井卓也デジタル改革大臣は、行政のデジタル化には5年は要すると語っている。ということは、河野大臣はサインへの代替えは認めない旨を述べているため、その5年間の移行期間、従来押印が求められてきた書面は、押印せずに単にプリントアウトして提出すればいいことになる。
果たして、国民はそのような改革を求めているだろうか。そもそも、一般国民が」行政手続きで書類に押印する回数は、そう多くはない。出生や死亡、転入や転出、結婚や離婚などは頻繁にあるわけでもない。そこに押印が要求されても大した負担ではない。それが行政改革の柱だとは噴飯ものである。また、行政では押印を照合しないため、押印が廃止されても、何ら国の経費の削減にはならない。
確かに、『認印』とは、何らかの判子が捺されていれば足りるため、他人の判子でも通用する。だが、法律上、無印私文書より有印私文書を偽造した罪が重たいのは先述の通りである。それは、有印私文書の方が文書自体の信用性及びその保護の必要性が高いからにほかならない。有印文書の方が、偽造の心理的ハードルが高いののは当然である。つまり、行政手続きの押印廃止は、虚偽の申請や申告を増やすことに繋がる可能性がある。
『給付金詐欺』や『鳥貴の錬金術』で話題になったように、日本人の倫理観の低下が指摘されるなか、押印廃止は、不正の心理的ハードルを下げることになるため、わざわざデジタル化に先行して押印を廃止することは、百害あって一利なしというべきである。
河野大臣が進める押印廃止の最大の問題は、判子を悪者にしてしまったことである。『押印廃止』とは単に行政手続きの押印を廃止するだけだが、一般的には、将来判子はなくなるものと理解された。『デジタル化を進める』というだけではだめだったのか。手っ取り早く押印廃止で成果を誇示しようとしたのではなかったか。判子が悪者にされた代償は計り知れない。

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