日本一を目指す、と言う世界

この週末は2年に1度開催される「技能グランプリ」、
職人日本一を決める大会が愛知県で開催されます。
運営や審査に携われている皆さま、このコロナ禍での開催に心から敬意を表します。
そして参加される皆さんにがんばって!とSNSで投稿をしようと思いましたが、
出場当時のことを思い出し溢れる言葉が止まらなかったので改めて記事にしています。

技能グランプリは、日本全国の熟練技能者が技能を競う技能競技大会です。
出場する選手はそれぞれの職種について特級・1級の技能検定に合格した技能士であり、
年齢に関係なく真の日本一を決める技能競技大会として開催されています。

公式WEBサイトでは競技の様子がLIVE配信されます。
WorldSkills Japan(技能グランプリ)
職人の仕事・・・その頂点、その真髄をどうぞご覧ください。

第31回となる今大会は全30職種、はんこ職人は「印章木口彫刻」と言う競技職種です。
課題は30mmと言う賞状に捺されるような大きめの角印に、9文字を彫刻します。
制限時間7時間、9時開始17時前後終了、1日で彫り上げます。
競技会場、その場で7時間通し(食事休憩はありますが;)です。

高い技術力は必須で、身体的にも精神的にも過酷;
当日はもちろんですが、開催2~3か月前の課題発表からの練習がとにかく大変!
7時間競技なので当然ですが練習も7時間かかる、つまり丸1日は使ってしまいます。
また道具の手入れなども含めると、1回通し練習をするのに合計で2日間は使います。
当たり前ですが日々の仕事をしながらで、私はあまりに多くのことを犠牲にしてきました。
それが「日本一を目指す、と言う世界」でした。

僕は神奈川県代表として4回出場しましたが銅賞が最高位でした。
4年前の大会にエントリーしていましたが、直前に先代(父)が他界し出場辞退。
思い返すと6年前の第28回大会が最後となりました。
もちろん今でも出場資格はあるのですが、現実的にとても難しいです。
それは職人である上で法人の経営者であり、子を持つ父であること。
がむしゃらに技術に向き合えたあの頃は、辛くもあったが幸せだったな・・・と。
もちろん父や妻、様々な方の支えがあって出場できていたと今更になって気付きます。
生半可な覚悟では向き合えない、それが「日本一を目指す、と言う世界」でした。

ただ日本一と言う言葉には色々と語弊があるかも知れません。
技能グランプリでの1位=グランプリ、に輝いた方は大会開催数いらっしゃいますし、
全国印章技術大競技や大印展のような全国規模の作品展でのトップ賞もあります。
その技能を公に認められて、現代の名工となる方もいらっしゃいます。
それを十分に理解した上で、敢えて言います。
技能グランプリは「日本一を目指す、と言う世界」、グランプリは日本一です。

今回参加される方々、私が出場した時にも腕を競い合った方もいます。
訓練校(神奈川県印章高等職業訓練校)出身の仲間もいます。
またお名前でしか知らない方や初めて目にするお名前の方もいますが、
親しい親しくない関係なくグランプリを目指す方はみんな同志です。
競い合う立場であっても技術を志す仲間で、苦しみを乗り越えた戦友のような気持ちです。

皆さんが普段通りの力を発揮できることを心から祈念しています。
がんばれ~!!!!!

4回目の出場時は神奈川県選手団の旗手を務めました。
「旗手はグランプリになれない」なんてジンクスも聞きました(笑)、良い思い出です。

人生に寄り添うはんこ

あけましておめでとうございます。
東曜印房は本日、1/5(火)が2021年の仕事始めとなります。

タウンニュース元旦号はお読み頂けましたでしょうか。
命をつなぐ「人生に寄り添うはんこ」として、当店が紹介されました。

昨年の秋には政府の不要な押印見直しが、押印廃止と言う言葉に。
押印廃止と言う言葉が脱はんこと言う言葉に変わり、我々国民の元に届きました。
私たち印章店だけでなく、印章に携わる方々は「はんこが無くなる」誤った情報に対応する日々でした。
記事にもありますが、人生の節目に登場するはんこは大きな役割があり、これからも必要です。
お持ちのはんこも、お求めになるはんこも、どうぞご安心してご使用ください。

私たち印章店、そして印章を彫る職人はこれからも一つ一つのはんこと誠実に向き合っていきます。
それは皆さんの生活に役立ち、潤いをもたらすため。
はんこ、そして漢字と言う素晴らしい文化を後世にも伝えるため。
はんこ職人・・・印章彫刻と言う技術、その襷を次代に繋ぐため。

お客さまの人生に寄り添うはんこに心を込めて。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

はんこ屋の声

政府が進めている行政手続き上での無駄な押印の見直しについて、
10月からSNS上や新聞紙面(神奈川新聞・朝日新聞)で意見をしてきました。


投稿数が増えたのと「纏めて!」とリクエストを頂いたので下記のブログを立ち上げました。
温故知新 -はんこの昔と今、そして未来-

決して政府の政策批判ではありません。
はんこを彫刻する職人として、小さな小さな商店主として、
そして・・・ひとりの人間として、父としての思いを文字にしています。

またはんこ屋の声だけでなく、はんこに関する知識や記事引用もあります。
ご覧頂けたら嬉しいです。

判子と私の物語

お客さまがSNSでアップされた「判子と私の物語」、許可を頂き公開させて頂きます。
もちろん加筆修正なし、原文そのままの物語を是非ご一読ください。

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この度の特別給付金「じうまんゑん」で、認印を作りました。
成人の折に実印を作ってこの方、まとまったお金が出来た時に増やしていたのですが、これをもって実印、銀行印、認印が漸く揃いました。
という訳で「判子と私の物語」のお話です。

私は小学校の時分、5年程の間、商店街の商業イベントに出ていた篆刻体験に通い詰めていた時期がありました。
元々年賀状の宛名を筆で書く習慣があったので、そこに捺す干支の漢字の判子を、母に引き連れられて作りに行っていたのです。
石を彫刻刀でコリコリ彫り進めていくのは誠に楽しく、かつ創造的な体験でした。
そしてそういうオツな楽しみ方をする私に、書体の構造的な面白さや篆刻のオモシロミなどを熱心に教えてくれていたのは、「トウヨウインボウ」の「眼鏡のお兄さん」でした。

当時は名前も知らず、ただ漠然と「トウヨウインボウ」という音だけが不思議な印象をもって記憶に残され、いつか判子を作るときには「トウヨウインボウ」に行くのだ、というのはそれ以来の確乎たる決意として、幼き心の中に刻まれた訳であります。

それから高校、大学を経て、遂に成人というところへやってきました。
良い機会なので実印を作ろうという話になり、心の奥底に眠っていた「トウヨウインボウ」は、ここで再び眼前に現れました。
「トウヨウインボウ」こと「東曜印房」さんは、街角の白テントのお店ではなくて、平塚の大門通りにお店を構える老舗でした。
漠然と象牙がいいという話を聞いていたので、その気でお店に出向いたところ、面白くマンモスの印材が出ていました。
象牙は高くて買えないけれども、似た素材で、かつ誰とも被らなさそうな品を求めていた私は、殆ど直感的にマンモスの実印をお願いしたのでした。
これがこんにちの私の実印であります。
この時は母の出資で作ったのですが、さすがに実印、銀行印、認印と3本買うことは叶わず(一点豪華主義なので予算の大半をマンモスに投げ込んだのです)、残り2本は追って揃えることになりました。

再び時は流れて、大学院を出て仕事に就き、結婚、引越しが目前に迫った頃、今後大幅に動くであろう財政予想に鑑みて、銀行印を新調せねばならぬ事態に際会しました。
それまで私は、中学卒業で貰った柘植?の認印を銀行印代わりにしていましたから、無用心この上なかったのです。
折しも「東曜印房」さんからハガキが来て、創業記念の売り出しで象牙が安く出ているとのこと。
これが今年の1月で、豆象牙という小さな判子でお願いしました。私からすると念願の象牙印で、これがこんにちの銀行印になりました。
実印に近い書体で仕上げて頂いたもので、受け取った私はワクワクしながら早速銀行へ改印届に出掛けました。
見た目の小ささからは想像もつかないどっしりとした印相で、非常な満足を覚えてドシドシ手続きしたのですが、それから数週間して引越しがあり、住所変更手続きのため再び銀行に出向かねばならなくなったのはとんだ騒ぎでした。

さて、ここまでで、実はお店で「眼鏡のお兄さん」にはついぞ会うことは出来ませんでした。
というよりも、会ったとしても10年以上前にお祭り騒ぎの中、篆刻をしに来たチビッコの事なぞ忘れられていると思った方が自然でした。

引越しを経て世の中がコロナに巻き込まれた頃、パートナーが「実印を作り直したい」と言い出しました。
当初ネット注文を企図していた彼女に、私は東曜印房へ出掛けてみようと誘ったのでした。
折しも特別給付金の目処がつき、ついでに私の認印も作ろうと出掛けたのでした。
パートナーの方は、全ての印鑑を作り直さねばならぬ予算の都合上、総象牙という訳にもいかなかったのですが、私は日常頻繁に使う物であるし(現に勤務先の出勤簿は古式ゆかしい捺印式である)、生涯にわたって使うことを考慮して象牙のちゃんとしたのを求めようと思いました。
ところが果たして、眼前に何本もの象牙を並べられてみると、どれがよいやらサッパリ見当がつきません(どれもよいので選べないのです)。
私がウンウン唸っていると、店員の方がそれならというので「眼鏡のお兄さん」を呼んでくださったのです。
予期せずして10数年ぶりに「眼鏡のお兄さん」に対面叶った訳で、くだんの話をするとどうやら印象に留めていて下さったようでした。
「眼鏡のお兄さん」は4代目社長になられていました。
数ある中から上質な物を選り分けてくれ、かつ「折角だから認印も篆書体にしたい」という私の要望を容れて、認印には通常難解なので使われない篆書体で仕上げてくだすったのです。
出来上がった認印は、線細く流麗でスマートな、それはそれは美しい1本に仕上がりました。

昨今、手書き書類や判子文化廃絶という過激思潮が世間を賑わせていますが、業務と文化は分けて考えるべきで、過度な手書き主義や決済の煩雑化を見直す一方、手紙や蔵書印、落款などの文化は大切にして欲しいと思っています。
そうした中で、自らの意思の分身ともいうべき印鑑を、この様な素敵な経緯で手に出来たのは幸運といってよいでしょう。
基本の3本は揃えてしまいましたが、次は蔵書印など作ってみたいなあ、などと興味は尽きません。
その時はまたお願いしたいところです。 (了)
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SNSでこの投稿を見た私は、感動で涙が止まりませんでした。
この業を営んでいて良かった、職人で良かったと心から思えた瞬間です。
きっと人生を終えるその時まで、この想いは忘れません。
本当にありがとうございました。

手書きの感謝状

今年4月に平塚市におててポンを寄贈しました。
約4か月前ですが、とても昔の事の様に感じますね。

寄贈時には盛大に寄贈式を行って頂き、平塚市から感謝状を頂きました。
まだブログでご披露していなかったことを思い出したので紹介します。

賞状の文字は印刷(フォント)が多く、はんこも印刷されている事が多い昨今。
ご覧の通り全て手書きの感謝状でした、感激!!
大切な物と事を大切に扱っている、当たり前の事ですがとても嬉しいです。
市長にもこの事について、その場で直接お礼の言葉を伝えました。

IT化により私が子どもの頃は想像もしていなかった世の中となっています。
私自身もその恩恵を受けて、生活する上で大変有難く感じています。
その勢いはこのコロナ禍での新しい生活様式で更に加速していきますが、
大切な事を忘れてはいけないと自戒も込めて綴らせて頂きます。

それは利便や利益追求を求めて変化する事だけが万人の幸せではないし、
そこに人が求めている価値が全て凝縮されているとは思えない、と言う事。
これだけ便利な世の中になったからこそ、改めて感じる美しさや喜びも沢山あります。
テレワークやネット会議が進めば進む程、今まであった価値に改めて気付いています。
(もちろん今まであった無駄にも沢山気付けて合理化も進みます)

今、常識となっている新しい生活様式をこれからも永遠に続けたい人がいるのでしょうか。
あくまで「新型コロナウイルスを想定した新しい生活様式」で、
いずれ今後も続けるべき様式と終わらせて良い様式とに区分されますよね。

人はヒトやモノ・コトと触れ合う時に強く感情を揺さぶられ、感動を覚えます。
それは私たち自身は生身を持つ人間で、この地に足を付けて生活しているという事。
技術は発達し様々な通信手段が出来ていても、私たちはオフラインで生きています。
人間はどこまで行っても人間、ですよね。

私はものづくりに携わる人間なので、考え方がアナログ寄りなのは理解しています。
それでも決してデジタル分野に弱くはありませんし、むしろ大好きです(笑)
その上でデジタル・アナログどちらにも相応の価値があると確信しています。

温故知新とは順番が逆になりますが、ますます便利になっていく時代を喜んで受け入れて、
その上で本当の喜びや幸せ、価値を見付けていきたいですね。

研ぎ納め

1年間、頑張ってくれた道具に感謝をして・・・本日、研ぎ納めです。
日々、切れ味が落ちる度に研いではいますが年末は気持ちが違います。
研ぐ度に少しずつ変わってしまった形(角度)を整えたり、
普段は研ぎ切れない所まで拘って、ピカピカにします。
特に今年は奮発して鏡面仕上げの砥石を購入したので♪

研ぎながら、今年も沢山彫らせて頂いたなぁ・・・と思いを巡らせるのですが、
「おたくのはんこが気に入っていて」と先代や先々代の頃の印を
お持ちになる方が多いと改めて感じました。

私が愛用している印刀は祖父が使用していた物です。
自分で誂えた印刀もありますが、祖父の切れ味には到底敵いません。
素材となる鋼も、刀を打った職人(鍛冶屋)も違う。
今では手に入らない、素晴らしい道具です。

素晴らしい道具を残してくれただけでなく、
良い仕事をして私の代までお客様を残してくれた。
そんな先代達に改めて感謝をする大晦日となりました。

東曜印房は来年、創業111年を迎えます。
感謝と約束、これからも良い仕事ができる様に頑張ります。

一期一会

9月も下旬、朝晩とすっかり涼しくなってきました。
過ごしやすい秋や春が短く感じる昨今、もう暫くこの気候でいて欲しいですね。

東曜印房は8月末が決算、新しい期となった今月も慌ただしく毎日を送っています。
春から準備していた平塚まちゼミもスタート、今日は午前・午後と当店の講座も開催します。
そんな中で作業を進めているのが地元の神社からご注文頂いた大きな印。
一寸五分=45mmの角印が7個、10月中頃に納められる様に彫り進めています。

大切な社の印を私に任せて頂ける、感謝の気持ちで印に向かっていますが、
日々ご注文頂く実印や銀行印も同じですね。
職人からすれば「日々」ですが、お客様からすれば一生に一度。
商売と言う垣根を超えた所、ご縁を頂いた感謝の気持ちを印に込めたい。
造語ですが、一彫一会の精神で彫刻します。

10時になりまして、あと少しするとまちゼミの受講者さんがご来店されます。
こちらも一期一会、今回のまちゼミも楽しみです!

解散総会

4月も下旬、GWも目の前ですがまだまだ総会シーズンですね。
先週末は県組合青年部の総会、最後の解散総会でした。
解散と言っても組合を辞める訳ではなく県組合(親会)の中に入る形となります。
会計を持ち総会を行う、独自の組織としてはここで終了となります。

神奈川県印章業組合連合会青年部、通称は神印連青年部。
昭和49年創設で今回が第45回総会、私よりも年上です。

私も第19代部長として平成24年から2期4年を務めました。
任期中には40周年の記念式典がありました、5年前の事ですが既に懐かしいです。
改めて見ると1期2年がほとんどで2期務めたのは第7代部長と私の2人だけなんですね。

総会後はインターコンチネンタルホテルに移動して懇親会。
最後まで「青年部らしく」楽しく開催できたと思います。
改めてご出席頂いた沢山の先輩方、ご来賓の皆様に感謝申し上げます。

受け取った襷をここで終わらせてしまうのは正直悔いが残り残念です。
しかしこれは現部長と現役部員の総意、人数的にも金銭的にも限界でした。
これからも無理なく組合活動を続けれる様に、と前向きな解散。
この業を守る為の組合活動、頑張っていきます。

崎陽軒さんの翌年なんです

新しい年度が始まりまして既に10日が過ぎ、久し振りのブログ更新です。
強い風の吹く日が多いですが、皆様いかがお過ごしですか?

突然ですが・・・神奈川・横浜で駅弁と言えば崎陽軒!
シウマイと言えば崎陽軒!!
みんな大好きシウマイ弁当の崎陽軒が創業110年との事でウォーカームック
「崎陽軒Walker」が発売されていたので購入しました。
1908年(明治41年)に横浜で創業、2018年で110年です。

ここでタイトルの「翌年なんです」です。
そう、東曜印房は崎陽軒創業の翌年に創業をしました。
1909年(明治42年)に平塚・大門通りで創業して以来、4代続くはんこ一筋の専門店です。
お陰さまで来年、2019年に創業110年を迎えます。

思い返すと10年前の100年は全く意識していませんでした;
初めて技能グランプリに出場したり、全国展で初の金賞を頂いたり、
職業訓練指導員の資格を所得したりと技術研鑽まっしぐらでしたね。
代表となった事もあり、お客さまに何か感謝の形を表したいと考えています。
ただ100年を逃しての110年は少し微妙なので、111年でと考えています(笑)
2020年・・・まだ少し先の事ですがどうぞお楽しみに。

倉庫の整理→お宝発見(4)

またまた先日の記事の続きとなります。
祖父揮毫の平塚市民憲章、旧庁舎では石碑となって飾られていました。
では今はどこで見られるのかと言いますと・・・。

昨年末に全ての工事が終わった綺麗な新庁舎。
その南側中央、1番大きな入口の前です。

この様に石碑が地面から顔を出しています。

祖父の文字が彫り込まれている、平塚市民憲章。

市役所へお出掛けの際にお時間ありましたら是非ご覧下さいませ。

有限会社 東曜印房(とうよういんぼう)

神奈川県平塚市明石町1-5
TEL:0463-21-0181
Email: info@toyoinbo.com