判子と私の物語

2020年10月14日投稿

お客さまがSNSでアップされた「判子と私の物語」、許可を頂き公開させて頂きます。
もちろん加筆修正なし、原文そのままの物語を是非ご一読ください。

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この度の特別給付金「じうまんゑん」で、認印を作りました。
成人の折に実印を作ってこの方、まとまったお金が出来た時に増やしていたのですが、これをもって実印、銀行印、認印が漸く揃いました。
という訳で「判子と私の物語」のお話です。

私は小学校の時分、5年程の間、商店街の商業イベントに出ていた篆刻体験に通い詰めていた時期がありました。
元々年賀状の宛名を筆で書く習慣があったので、そこに捺す干支の漢字の判子を、母に引き連れられて作りに行っていたのです。
石を彫刻刀でコリコリ彫り進めていくのは誠に楽しく、かつ創造的な体験でした。
そしてそういうオツな楽しみ方をする私に、書体の構造的な面白さや篆刻のオモシロミなどを熱心に教えてくれていたのは、「トウヨウインボウ」の「眼鏡のお兄さん」でした。

当時は名前も知らず、ただ漠然と「トウヨウインボウ」という音だけが不思議な印象をもって記憶に残され、いつか判子を作るときには「トウヨウインボウ」に行くのだ、というのはそれ以来の確乎たる決意として、幼き心の中に刻まれた訳であります。

それから高校、大学を経て、遂に成人というところへやってきました。
良い機会なので実印を作ろうという話になり、心の奥底に眠っていた「トウヨウインボウ」は、ここで再び眼前に現れました。
「トウヨウインボウ」こと「東曜印房」さんは、街角の白テントのお店ではなくて、平塚の大門通りにお店を構える老舗でした。
漠然と象牙がいいという話を聞いていたので、その気でお店に出向いたところ、面白くマンモスの印材が出ていました。
象牙は高くて買えないけれども、似た素材で、かつ誰とも被らなさそうな品を求めていた私は、殆ど直感的にマンモスの実印をお願いしたのでした。
これがこんにちの私の実印であります。
この時は母の出資で作ったのですが、さすがに実印、銀行印、認印と3本買うことは叶わず(一点豪華主義なので予算の大半をマンモスに投げ込んだのです)、残り2本は追って揃えることになりました。

再び時は流れて、大学院を出て仕事に就き、結婚、引越しが目前に迫った頃、今後大幅に動くであろう財政予想に鑑みて、銀行印を新調せねばならぬ事態に際会しました。
それまで私は、中学卒業で貰った柘植?の認印を銀行印代わりにしていましたから、無用心この上なかったのです。
折しも「東曜印房」さんからハガキが来て、創業記念の売り出しで象牙が安く出ているとのこと。
これが今年の1月で、豆象牙という小さな判子でお願いしました。私からすると念願の象牙印で、これがこんにちの銀行印になりました。
実印に近い書体で仕上げて頂いたもので、受け取った私はワクワクしながら早速銀行へ改印届に出掛けました。
見た目の小ささからは想像もつかないどっしりとした印相で、非常な満足を覚えてドシドシ手続きしたのですが、それから数週間して引越しがあり、住所変更手続きのため再び銀行に出向かねばならなくなったのはとんだ騒ぎでした。

さて、ここまでで、実はお店で「眼鏡のお兄さん」にはついぞ会うことは出来ませんでした。
というよりも、会ったとしても10年以上前にお祭り騒ぎの中、篆刻をしに来たチビッコの事なぞ忘れられていると思った方が自然でした。

引越しを経て世の中がコロナに巻き込まれた頃、パートナーが「実印を作り直したい」と言い出しました。
当初ネット注文を企図していた彼女に、私は東曜印房へ出掛けてみようと誘ったのでした。
折しも特別給付金の目処がつき、ついでに私の認印も作ろうと出掛けたのでした。
パートナーの方は、全ての印鑑を作り直さねばならぬ予算の都合上、総象牙という訳にもいかなかったのですが、私は日常頻繁に使う物であるし(現に勤務先の出勤簿は古式ゆかしい捺印式である)、生涯にわたって使うことを考慮して象牙のちゃんとしたのを求めようと思いました。
ところが果たして、眼前に何本もの象牙を並べられてみると、どれがよいやらサッパリ見当がつきません(どれもよいので選べないのです)。
私がウンウン唸っていると、店員の方がそれならというので「眼鏡のお兄さん」を呼んでくださったのです。
予期せずして10数年ぶりに「眼鏡のお兄さん」に対面叶った訳で、くだんの話をするとどうやら印象に留めていて下さったようでした。
「眼鏡のお兄さん」は4代目社長になられていました。
数ある中から上質な物を選り分けてくれ、かつ「折角だから認印も篆書体にしたい」という私の要望を容れて、認印には通常難解なので使われない篆書体で仕上げてくだすったのです。
出来上がった認印は、線細く流麗でスマートな、それはそれは美しい1本に仕上がりました。

昨今、手書き書類や判子文化廃絶という過激思潮が世間を賑わせていますが、業務と文化は分けて考えるべきで、過度な手書き主義や決済の煩雑化を見直す一方、手紙や蔵書印、落款などの文化は大切にして欲しいと思っています。
そうした中で、自らの意思の分身ともいうべき印鑑を、この様な素敵な経緯で手に出来たのは幸運といってよいでしょう。
基本の3本は揃えてしまいましたが、次は蔵書印など作ってみたいなあ、などと興味は尽きません。
その時はまたお願いしたいところです。 (了)
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SNSでこの投稿を見た私は、感動で涙が止まりませんでした。
この業を営んでいて良かった、職人で良かったと心から思えた瞬間です。
きっと人生を終えるその時まで、この想いは忘れません。
本当にありがとうございました。

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