君は日本を誇れるか「①判子文化を護る意味」

この文章は、正論令和3年1月号に寄稿した『君は日本を誇れるか(第80回)~河野大臣に告ぐ「判子」を悪者にした罪は大きい』を基礎に、竹田恒泰様より許可を得て、加筆・修正されたものです。
とても長い文章なので5つに分けてアップしますが、とても大切な事が沢山書かれています。
判子が残って欲しいと思う方はもちろん、無駄な判子は無くなっても良いのでは?と思う方も是非ご一読ください。
判子だけの話ではなく、様々な文化破壊・・・最終的には天皇制にまで及ぶ考え方なのです。

①判子文化を護る意味
本当に判子は「無用の長物」なのだろうか。河野太郎行革大臣が、行政改革の一つの柱として、行政手続き上の押印廃止を進めたことで、判子が悪者扱いされるにいたってしまったことは悲しむべきことであると私は思う。
伝統は、歴史のなかで取捨選択を繰り返してもなお人々によって守られてきたものであり、長い間の風雪に耐えながら蓄積されてきた叡智の結晶ともいえる。千年以上にわたって用いられてきた判子文化を、目先の合理主義によっていとも簡単に廃止しまうことに何の迷いもないというのは、実に恐ろしいことではあるまいか。便利で良い文化であるから長年用いられてきたのであり、「判子をどのようになくすか」でなく「なぜ判子が長年用いられてきたのか」の問題意識を向けてもらいたいと思う。
判子は、テレビなどが煽るように、本当に不便で不要なものなのか考えてみたい。

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